(1)ああ、開幕戦 隠し球で負けてしもたぁ
トラ番記者たちが、今年の阪神は去年とは違う―と感じたのは、2月1日から始まった高知・安芸キャンプである。 二塁手に抜擢された岡田とショート平田との何時間にも及ぶ「併殺特守」が連日行われた。その気迫は、そばで見ていた記者たちの目をくぎ付けにした。 吉田監督と一枝コーチが交代でノックを打ち続け、厳しい声が飛ぶ。 「岡田、アカン! アカン! もっとランナーを攻めるんや!」 「併殺プレーは一塁ランナーとの〝戦争〟やで。ランナーに攻められたら負けや!」 「ランナーの顔にぶつける気持ちで投げてみぃ! ランナーの方が避けよるわ」 ■「猛虎伝」は阪神タイガースの21年ぶりリーグ優勝(昭和60年)の軌跡を追…
(2)苦しかった初勝利が奇跡への出発点 そして河埜の大落球
昭和60年の阪神の快進撃を象徴する〝伝説〟の試合―とくれば、誰もが4月17日の巨人2回戦、バース、掛布、岡田の甲子園バックスクリーン3連発…というだろう。 だが、トラ番記者が初めて《今年の阪神には何かが起こりそうや…》と感じたのは、この3連発が出発点ではない。 実はその前日、いやそのまた前の4月14日、吉田阪神の記念すべき「初勝利」のときからだった… ■「猛虎伝」は阪神タイガースの21年ぶりリーグ優勝(昭和60年)の軌跡を追うドキュメンタリードラマです。甲子園バックスクリーン3連発―感動で身震いしたバース、掛布雅之、岡田彰布。古葉竹識率いる広島との死闘。球団社長が日航ジャンボ機墜落事故で死…
(3)伝説のバックスクリーン3連発 そのとき神風が吹いた
〝伝説〟となった4月17日の巨人2回戦。 阪神は七回表を終わって1対3と2点のリードを許していた。 巨人のマウンドには槇原。 《きょうも〝神風〟吹かんかなぁ》 スタンドのトラファンと一緒に、甲子園球場の記者席で前日の大落球の再現を願った。 するとどうだ‥ ■「猛虎伝」は阪神タイガースの21年ぶりリーグ優勝(昭和60年)の軌跡を追うドキュメンタリードラマです。甲子園バックスクリーン3連発―感動で身震いしたバース、掛布雅之、岡田彰布。古葉竹識率いる広島との死闘。球団社長が日航ジャンボ機墜落事故で死去するという衝撃…。そしてつかんだ栄冠。「吉田義男監督誕生秘話」から「栄光の瞬間」まで、トラ番記者…
(4)流れは村山監督誕生 ひっかかった〝一晩の猶予〟
昭和60年の猛虎たちの奇跡の快進撃を語るには、まずその「将」である吉田義男新監督の〝誕生劇〟から話さねばならないだろう。 昭和59年10月、安藤統男監督の突然の辞任で始まった阪神の「監督騒動」は、野球評論家・西本幸雄への要請そして固辞というみちのりを経て大詰めを迎えていた。 ■「猛虎伝」は阪神タイガースの21年ぶりリーグ優勝(昭和60年)の軌跡を追うドキュメンタリードラマです。甲子園バックスクリーン3連発―感動で身震いしたバース、掛布雅之、岡田彰布。古葉竹識率いる広島との死闘。球団社長が日航ジャンボ機墜落事故で死去するという衝撃…。そしてつかんだ栄冠。「吉田義男監督誕生秘話」から「栄光の瞬…
(5)吉田監督誕生 残り1%のどんでん返し
昭和59年10月23日、その日はトラ番記者たちにとって忘れられない〝長い一日〟となった。 午前中、大阪・梅田の阪神電鉄本社で行われた臨時役員会議で、誰もが予想していた「村山新監督」がものの見事に吹っ飛び、急転「吉田新監督」が決定したのである。 午後1時から電鉄本社で契約を結び、午後3時から「ホテル阪神」で吉田の監督就任記者会見が行われた。 雛壇の上で田中オーナーが吉田監督決定の経緯を説明した。 ■「猛虎伝」は阪神タイガースの21年ぶりリーグ優勝(昭和60年)の軌跡を追うドキュメンタリードラマです。甲子園バックスクリーン3連発―感動で身震いしたバース、掛布雅之、岡田彰布。古葉竹識率いる広島と…
(6)〝牛若丸〟誰もが『知将』と認めたが、妙な逸話の多い人
吉田義男という人は、いったいどんな人だったのだろう。 昭和8年7月26日生まれ、監督就任が発表された昭和59年には51歳だった。27年に京都の立命館大学を中退し、タイガースに入団した。 球団発行の『阪神球団50年史』によると当時、阪神は東京六大学で屈指のショート、慶応大学の松本豊の獲得を目指していた。 ■「猛虎伝」は阪神タイガースの21年ぶりリーグ優勝(昭和60年)の軌跡を追うドキュメンタリードラマです。甲子園バックスクリーン3連発―感動で身震いしたバース、掛布雅之、岡田彰布。古葉竹識率いる広島との死闘。球団社長が日航ジャンボ機墜落事故で死去するという衝撃…。そしてつかんだ栄冠。「吉田義…
(7)変貌の人 娘と交わした禁煙の誓い
吉田監督の自宅は阪神競馬場で有名な兵庫県宝塚市仁川にある。 300坪以上の広大な敷地の中には、林や池もあり、庭にはちょっとした野菜畑まであった。門から玄関まではなだらかな登りの坂道。ところ狭しと植木が並んでいる。 トラ番記者たちが訪れるといつも、門のところで篤子夫人が上品な優しい笑顔で出迎えてくれた。 ある日、その篤子夫人がそっと教えてくれた。 「実はね、ウチの主人〝禁煙〟してるのよ」 ■「猛虎伝」は阪神タイガースの21年ぶりリーグ優勝(昭和60年)の軌跡を追うドキュメンタリードラマです。甲子園バックスクリーン3連発―感動で身震いしたバース、掛布雅之、岡田彰布。古葉竹識率いる広島との死闘。…
(8)2つの目の決断 木戸再生 大きな賭け
岡田彰布を日本一の二塁手にーという言葉を笑った記者に、「その笑いを1年間忘れまへんで!」と迫った吉田監督。 2月から高知・安芸で始まったキャンプでは、夕暮れ近くまでノックの雨を降らせ、二塁手・岡田を指導する姿は見る者を黙らせた。 余談だが吉田監督はこの一件を本当に1年間忘れなかった。すべての戦いを終えたシーズンオフのある日、トラ番記者たちを招いた慰労の懇親会で1人の記者に向かってこう言った。 「おたくでしたなぁ。私が、岡田は日本一の二塁手になる―と言うたときに笑いはったのは」 ■「猛虎伝」は阪神タイガースの21年ぶりリーグ優勝(昭和60年)の軌跡を追うドキュメンタリードラマです。甲子園バッ…
(9)阪神入団拒否?巨人と密約??―あのマイクが勝ちよった
昭和60年、阪神は2位の広島に7ゲーム、3位の巨人には12ゲーム差をつけて優勝した。 チーム打率は2割8分5厘で1位。 三冠王に輝いたバースが3割5分、岡田が3割4分2厘で2位。真弓も3割2分2厘で5位に入った。 一番すごいのは219本を放ったホームランだ。 バース54本、掛布40本、岡田35本、真弓34本と4人が30本超え‥ ■「猛虎伝」は阪神タイガースの21年ぶりリーグ優勝(昭和60年)の軌跡を追うドキュメンタリードラマです。甲子園バックスクリーン3連発―感動で身震いしたバース、掛布雅之、岡田彰布。古葉竹識率いる広島との死闘。球団社長が日航ジャンボ機墜落事故で死去するという衝撃…。そし…
(10)広島死闘編 なんでカープに勝たれへんねん
昭和60年の阪神の〝宿敵〟は巨人ではなく、59年のセ・リーグ覇者・広島だった。 破壊力だけなら阪神が軽く広島を上回った。だが、まるで野球の「質」が違った。 5月までは、広島の主力投手が「巨人戦」に向けられていたおかげで4勝3敗と勝ち越したが、5月に古葉監督が「阪神を楽な気持ちで走らせてはいけない」と〝警戒警報〟を発し、エースの北別府や川口を阪神戦に投入し始めたとたん、 サッパリ勝てなくなった。 ■「猛虎伝」は阪神タイガースの21年ぶりリーグ優勝(昭和60年)の軌跡を追うドキュメンタリードラマです。甲子園バックスクリーン3連発―感動で身震いしたバース、掛布雅之、岡田彰布。古葉竹識率いる広島と…